先日、こんな場面がありました。
映画をほとんど見ない知人が「AIで映画レビューを書いてみた」と言って見せてくれたのですが、正直なところ、読んでいて何も引っかかりませんでした。情報としては整っている。段落の構成も悪くない。でも、何も残らない文章でした。
その人は映画をほとんど見ていないので、AIから出てきた「構造的に正しいレビュー」に何も加えることができなかったのだと思います。自分の体験も、比較できる作品も、監督への個人的な評価も、何もなかった。だから記事の骨格は出来上がっているのに、読む理由がない文章になっていた。
これは、他人事ではありませんでした。
AIを触ってわかった、「引き出し=上限」という現実
AIを日常的に使うようになってから気づいたことがあります。AIから返ってくる答えの質は、自分が投げかけた問いの質に強く依存しているということです。
「こういう切り口でまとめてほしい」「昔読んだあの本の考え方と今回のテーマはつながらないか」「このクライアントの状況、あの話で整理できそうだ」——こういう問いかけができるのは、元になる知識や体験が自分の中にあるからです。
逆に言えば、自分が何も持っていない状態でAIに聞いても、差し障りのない情報が返ってくるだけです。それはAIが悪いのではなく、そういう設計になっているからでしょう。AIは「持ち込んだ素材を整理し、言語化する」のが得意です。ただ、素材を持ち込む側は人間です。
自分の引き出し=AIの限界、というのが今の正直な実感です。
AIは「整理する人」。では、コンテンツの核は誰が持ってくるのか
生成AIが大量のコンテンツを生み出す時代になり、企業のオウンドメディアにはこれまで以上に「質」や「独自性」が求められているという議論は、2025年以降のコンテンツマーケティングの場でよく聞くようになりました。
ただ正直なところ、「独自性を出しましょう」という話は、何年も前から言われていたことです。変わったのは、独自性がないコンテンツとそうでないコンテンツの差が、これまで以上にはっきり見えるようになったことではないでしょうか。
生成AIの普及により、誰もが「平均点」のコンテンツを大量生産できるようになりました。その結果、ネット上には似たり寄ったりの「どこかで見たことがある情報」が溢れかえっています。
この状況で読まれるコンテンツを作るとしたら、必要なのはプロンプトの技術ではなく、AIに渡せる「自分だけの素材」の量と質だと思います。実際に経験したこと、特定の業界に深く関わってきた記録、読んできた本から自分なりに解釈してきた視点。これはAIがどれだけ進化しても、代わりに積んでくれるものではありません。
数字データへのこだわりが、いつのまにかインプットを止めていた
正直に言うと、ここ数年の自分を振り返って反省している部分があります。
アナリティクスの数字、キーワードの検索ボリューム、順位の変動。コンサルの仕事柄、これらを見ることは必要なことです。ただ、数字を追うことに慣れてしまうと、本を読む時間や、業界の外の話題に触れる時間が自然と削られていきます。
「今月のPVが何%上がった」「このキーワードで3位になった」という情報は大事です。ただそれは、すでに動かしているコンテンツの評価であって、次に何を書くかのアイデアは別のところから来なければなりません。
AIを触りながら、自分がどれだけ「数字の人」になっていたかに気づきました。数字を見る目は鍛えられていたかもしれないけれど、その先に渡せる素材が薄くなっていた。そういう感覚です。
AI時代のコンテンツ競争で、なぜ「個人の体験と知識」が差になるのか
SEOの観点からも、この流れは無視できないものになってきています。一次情報・独自調査・専門的な洞察を含むコンテンツが、AI生成の浅いコンテンツに対する差別化要素として一層重要になっているというのが、現在の大きな流れです。
ただ、これをSEO対策として語るのは、少しズレているように感じます。「一次情報を入れましょう」という話は、テクニックではなく、書く人間がどれだけのものを持っているかという問題だからです。
私がコンサルで関わってきたメディアの中で、長く読まれ続けているコンテンツには共通点があります。それは、書いた人間の体験や視点が、情報の骨格ではなく「肉」として入っているということです。数字は同じでも、誰かが「これは自分の話だ」と感じる瞬間を作れるかどうか。そこが、均質なAI生成コンテンツとの分かれ目になっていくのではないでしょうか。
インプットは「いつか使う」ではなく、今すぐ積むべきものに変わった
AIが普及する前は、インプットは「長い目で見たら役に立つだろう」という感覚でも許されていたかもしれません。ただ今は少し違います。AIをアウトプットに使うなら、インプットはその燃料です。燃料がなければ、エンジンだけ良くなっても前には進みません。
「AIを使えば記事が書ける」は本当です。ただ、誰が読んでも同じ記事が書けるという意味でもあります。自分らしい記事、読んだ人に「この人はわかっている」と思わせる記事を作るためには、AIに渡せる素材を積み続けるしかありません。
ただ、正直に言えばこれは難しい話でもあります。一生懸命勉強しても、テストに出るのはそのうちの一部です。一生懸命練習しても、試合は1回しかありません。インプットしたことが、いつ・どのかたちで役に立つかは、やってみなければわかりません。世の中、たいていそういうものではないでしょうか。
それでも私自身、まず家に山積みになった本をもう一度手に取ろうと思っています。取捨選択しながら読み直すもよし、本屋で話題の本を探すもよし。デジタルのデータばかり追いかけていた時間を、少し別のところに向けてみる。そういう小さなことから始めようと思った今日このごろです。
Webメディアを、会社の中に育てる。











