正直に言うと、久しぶりに心臓がドキドキしました。
東武鉄道の特急スペーシアXの特急券は、乗車1か月前の朝9時に発売が始まります。私はその日、クレジットカードの登録を済ませ、予約サイトのセットアップまで終えて、光回線の前でスタンバイしていました。9時00分になった瞬間にページを更新し、すぐに購入手続きへ。狙っていたのは1号車のコックピットラウンジ、座席を選ぶ画面でいちばん下に出てきたお席です。
やってみたところ、なんと一発で成功。時間にして40秒ほどでした。そのあと2分半ほどして同じ画面をのぞいてみると、ラウンジのお席は全部売り切れていました。いい大人が何をやっているんだ、という話ではあるのですが、取れたときは思わず声が出ました。
ちなみに、取れなかったら取れなかったで仕方ない、という気持ちでやっていました。時間帯をずらせば空いている便もあります。ただ、いちばん早い時間帯がいつもこうなんですよね。
この体験には、Web集客やマーケティングを考えるうえで大事なヒントが詰まっていると思っています。今日はそれを書いてみます。
スペーシアXの席は、なぜこんなに取れないのか
まず、スペーシアXがどれだけ「数の少ない乗り物」なのかを確認しておきます。
スペーシアXはN100系という6両編成の特急で、全席指定です。東武鉄道の公式サイトを見ると、座席は6種類。なかでも特別なお席は数がかなり限られています。私が取った1号車のコックピットラウンジはカフェカウンター付きで、4人掛け・2人掛け・1人掛けの各種ソファが置かれたお席。乗車記などを見るかぎり、内訳は4人用が3席、2人用が3席、1人用が2席ほどのようです。それでも、決して多くはありません。そして6号車には、定員7名のコックピットスイートがわずか1室、定員4名のコンパートメントが4室あるだけです。
料金も独特です。東武の公式案内によると、特別座席料金はコックピットスイートが1室18,000円、コンパートメントが1室8,000円。コックピットラウンジは1人用500円、2人用1,000円、4人用2,000円という設定になっています(いずれも本記事の執筆時点・2026年6月時点の価格です。料金は改定されることがあるため、予約の際は公式サイトでご確認ください)。
数が少ないだけではありません。スペーシアXはそもそも1日の本数が限られています。だから、いちばん人気の時間帯は発売開始から数分で埋まる。私が体験したのは、まさにその瞬間でした。
そして、この希少性はちゃんと数字にも表れています。スペーシアXは2023年7月の運行開始から570日で、累計乗車人員100万人を達成しました(東武鉄道の公式発表)。さらに2024年にはブルーリボン賞を受賞しています。これは鉄道友の会が選ぶ賞で、東武鉄道としては1991年の100系スペーシア以来、33年ぶり2度目の受賞です。スペーシアXという一つの車両が、東武鉄道の名前をここまで広めた、と言っても言いすぎではないと思います。
本物の希少性は、煽らなくても人が動く
ここで面白いのは、座席ごとの「取り合いの差」です。
私が取ろうとしたコックピットラウンジは、2分半で完売しました。ところが、いちばん高くて1室しかないはずのコックピットスイートのほうが、むしろ空いていたのです。値段がいちばん高い豪華な個室より、手の届く範囲のラウンジに人が殺到した、という逆転が起きていました。
これは「高い=希少だから売れる」という単純な話ではないことを示しています。人が動いたのは、料金の高さではなく、「手が届く範囲で、本当に数が少ないもの」に対してでした。
そして大事なのは、私を含めて誰も「あと◯席です」と煽られて動いたわけではない、という点です。スペーシアXの希少性は、構造として本物です。1日の本数が限られ、個室は1室、ラウンジも数席しかない。その事実を知っているから、人は自分から朝9時に張り込みます。
本物の希少性は、わざわざ演出しなくても伝わります。むしろ演出しないからこそ信じられる、とも言えます。
「あと3席」が信用されない理由
ここからが本題です。
世の中の多くの販売ページには「残りあと◯個」「あと3席」という表示があります。あれは、まずやってはいけないマーケティングの一つだと私は考えています。
理由はシンプルで、誰も信用していないからです。
「あと3個」と書いてあっても、翌日も翌週も「あと3個」のまま。そんな経験を、私たちは何度もしています。だから、その表示を見た瞬間に、お客さんは「どうせ嘘でしょう」と思う。これは、お客さんを悪い方向に教育していることに他なりません。一度「この手の表示は当てにならない」と学習したお客さんは、その後あなたが何を言っても信じてくれなくなります。
希少性を演出したつもりが、自分の信用を削っている。これでは本末転倒だと思われます。
やるなら、最後まで正直に描き切る
では、希少性を伝えてはいけないのかというと、そうではありません。やるなら、本当のところを最後まで描き切るべきだ、ということです。
「あと◯席」と言ったなら、実際にその席が減っていく様子を見せる。そして、本当に無くなるところまでリアルに描く。減ると言ったのに減らない、無くなると言ったのに翌週もある——この食い違いが信用を壊すのであって、希少性を伝えること自体が悪いわけではありません。
期間で区切る場合も同じです。「今週末まで」「1週間限定」と決めたら、その期日でしっかり終わりにする。これが、信用という点ではいちばんわかりやすいと思います。
ところが、だからこそやってしまいがちなのが「大好評につき、期間延長」です。これはやってはいけません。期日を信じて期日までに買ってくれたお客さんを、後出しで裏切る形になるからです。自分が逆の立場だったらどう思うか。「あの締め切りは何だったんだ」と感じるはずです。一度そう思われたら、次に「今週末まで」と言っても、もう本気にしてもらえません。
ついでに言えば、こうした「期間限定」や値引きの見せ方は、やり方を間違えると景品表示法(景表法)に触れる可能性もあります。実際にはずっと同じ条件で売っているのに「今だけ」と見せる、といったケースです。信用の問題であると同時に、ルールの問題でもあるわけです。
割引も同じです。たとえば最初に30%オフで売ったとします。それで売り切れなかったからといって、次もまた同じ30%オフをやってはいけません。やるなら20%、15%と段階的に下げていく。最初に30%で買ってくれたお客さんは、あとからまた同じ30%が出てくるのを見たら、どう感じるでしょうか。「待っていれば同じ条件で買えた」と思われたら、いちばん大事にすべき既存のお客さんをがっかりさせてしまいます。
「大好評につき再販」も、使い方を間違えると同じ失敗になります。本当に好評で再販するならいいのですが、最初に買ってくれた人を置き去りにする形での乱発は、信頼を少しずつ削っていきます。
お客さんのロイヤリティを軽く見ていると、こちらも軽く見られる。これは、私が長くこの仕事をしてきて、何度も感じてきたことです。
希少性とは、結局ポジショニングのことだった
ここまで書いてきて、改めて思うのは、希少性の正体は「ポジショニング」だということです。
スペーシアXに価値があるのは、「浅草から日光・鬼怒川へ、ここにしか乗れない体験」という唯一の立ち位置を持っているからです。同じような特急が他にいくつもあれば、朝9時に張り込む人はいません。違う場所に立っていること、そこにしかないこと。それ自体が希少性であり、価値です。
私はよく、新宿御苑の中にあるスターバックスの話をします。御苑の外に5分10分歩けばカフェはいくらでもあるのに、園内はあそこにしかない。だからお客さんがどんな層であっても、人が来ます。「園内に唯一」という立ち位置が、そのまま価値になっているわけです。この店は国民公園・新宿御苑に民間企業として初めて出店した店舗で、2020年3月にオープンしました(環境省の報道発表資料)。スターバックスの公式店舗ページでも、その立地を活かした設計だと紹介されています。スペーシアXもこのスタバも構造は同じで、「ここにしかない」というポジションが希少性を生んでいます。
逆に言えば、「あと3席」の演出に頼らなければならないのは、本物の立ち位置を持てていないからかもしれません。本当に独自のポジションがあれば、数の少なさは演出しなくても勝手に伝わります。
これは、Web集客やオウンドメディアでもまったく同じです。中身のない希少性を演出しても、お客さんはいずれ見抜きます。残るのは、本物の価値と本物の独自性を積み上げた媒体だけです。「この分野ならこの会社」と思い出してもらえるポジションを、地道に作っていく。煽らずに人が集まる状態を、時間をかけて育てていく。
検索順位を上げることも大事です。けれど、それ以上に大事なのは、検索順位だけでなく、顧客の頭の中にポジションを作ることだと、私は考えています。











