最近、AIにギャグを考えさせる、ということをやっています。
きっかけは、suno AIという音楽生成AIで「あるある」をテーマにした曲を作ろうとしていることでした。あるあるネタを大量に出して、それを歌詞に乗せていく。そのネタ出しをAIにやらせれば、効率よく曲が量産できるはずだ、と考えたわけです。
結論から言うと、AIにギャグを考えさせること自体はできます。ただ、それを仕組みとして自動化するところで、私はいま苦戦しています。
頭にあったのは「そろ谷のアニメっち」というYouTubeチャンネルでした。ハイテンポな会話やリズムネタで知られていて、運営するDLEのリリースによれば、2026年2月時点で総再生回数は10億回を超え、登録者は110万人を超えています。これだけのコンテンツをかなりの頻度で出しているので、私はてっきり「何かしらAIで量産する仕組みを組んでいるのではないか」と思っていました。だからその型を真似したい、と。
ところが調べてみると、同じDLEのリリースには、作者が1人で脚本・監督・キャラクターデザイン・声優までこなすスタイルだと書かれていました。少なくとも公表されている範囲では、システムで量産しているというより、かなりの部分が人の手によるものだったわけです。私の「システム化しているはず」という読みは、わりと外れていたことになります。
それでも諦めきれず、今度はサンドウィッチマンの漫才を分解してみることにしました。面白さの構造を取り出して、共通点をルール化して、AIに入れればテンプレートが作れるのではないか。そう考えて、ClaudeにもGPTにも投げてみました。でも、なかなか一発では仕上がってきません。今のところ、GPTのほうがまだ面白く展開できている、というのが正直な手応えです。
そもそも「型」は、それ自体が強い──異世界漫画が証明していること
ここで一度、笑いから離れて、別のものを見てみます。
異世界漫画です。主人公がトラックに轢かれて異世界に転生し、チート能力を手にして無双する。あるいは、勇者パーティーを追放された主人公が、別の場所で実力を認められて無双していく。こうした「なろう系」と呼ばれる型は、いまも作品が量産され続けています。2026年春時点のまとめでも、転生・追放・チート無双といった同系統の作品がアニメ化を含めて多数並んでいる状況が確認できます。
面白いのは、読者の側が「またこのパターンか」「飽きた」と言いながら、こうした作品が読まれ、売れ続けていることです。直近のある考察記事では、人気要素が可視化された結果、作者は流行に寄せ、読者は慣れた快感を求め、ランキングが似た作品をさらに浮上させる、という循環が指摘されています。飽きたと言いつつ、慣れた快感を求めて手に取る。この構造がぐるぐる回っているわけです。
これは何を意味しているのでしょうか。私が思うのは、人が求めているのは目新しさそのものではなく、「型の上に乗ったときの安心感」なのではないか、ということです。次にどう転ぶかが分かっている安心の中で、それでも気持ちよく転がしてくれる。その快感に対してお金を払っている。
サンドウィッチマンの漫才も、構造だけ見ればよく似ています。Wikipediaにも整理されているように、丸顔の伊達さんがデブとしていじられ、「お前もデブじゃねえか」と言い返す、といった決まった形が繰り返されます。毎回ほぼ同じ型です。それでも面白い。型が古びないのです。
つまり「型」は、それ自体がすでに強い。これは押さえておきたい前提です。
AIは「型」を作れる。だが「外し」が作れない
では、その強い型をAIに量産させればいいではないか、という話に戻ります。ここに壁があります。
型を再現する試み自体は、すでにかなり進んでいます。2025年には、M-1グランプリの出場者データを使い、複数のAIエージェントに漫才のスクリプトを自動生成させるシステムを作った、という開発例も公開されています。ボケ役とツッコミ役を分け、構造に沿って台本を組み立てる。型をなぞる作業は、AIの得意分野です。
問題は、その先です。Google DeepMindらの研究チームが2024年に発表した検証では、プロのコメディアンにAIでネタ作りを試してもらったところ、一人芝居の原案づくりのような単純なタスクには役立ったものの、独創的で面白いネタを生み出すことには苦戦した、という結果が出ています。AIが出してくるネタは当たり障りのない一般的なものが多く、差別的表現を避けるための安全フィルターが、かえってユーモアの幅を狭めている面もあったと報告されています。とくに、意外性や矛盾を使ったユーモアを作るのが苦手だ、とも指摘されていました。
理由は、笑いの仕組みを考えると腑に落ちます。笑いというのは、期待を膨らませて、緊張をつくり、予想外のオチで一気に解放する。その「予想外」の部分、つまり型からの外しが核心です。ところがAIは、大量のデータからパターンを学習して、もっともらしい続きを予測する仕組みでできています。だから型は再現できても、型を裏切る一手が出しにくい。構造としては笑いを知っているのに、体感的に外せない、という状態です。
ちなみに、お笑いコンビ・令和ロマンの松井ケムリさんが芸人の道に進むとき、大和証券のCOOである父親が「AIにできない仕事だからいいんじゃない」と背中を押した、という話があります。令和ロマンはその後、M-1グランプリで2023年・2024年と連覇しました。AIにできないことの価値を、お父さんは早い段階で見抜いていたのかもしれません。
個人のエピソードを入れた瞬間、引きが変わる
AIで笑いを量産しようとして詰まっていた私が、suno AIで曲を作っていて気づいたことがあります。
自分自身のエピソードを入れるか入れないかで、AIが引っ張ってくる情報も、出てくる曲の感じも、はっきり変わるのです。一般的な「あるある」だけで作ると、どこかで聞いたような、誰にでも当てはまる平らなものになる。ところがそこに自分の固有の体験を一つ放り込むと、急に手触りが出てくる。
これはたぶん、笑いでも同じです。AIが出す「誰にでも刺さりそうなネタ」は、裏を返せば「誰にも深くは刺さらないネタ」でもあります。個人の体験という具体が入ったときに初めて、型の中に「これは聞いたことがない」という初めての感触が生まれる。型は借りものでいい。けれど、その上に乗せる一滴は、自分のものでなければ効かないのだと思います。
Webコンテンツも「型」×「個人体験」でできている
ここまで来ると、自分の本業の話とほとんど同じ構造をしていることに気づきます。
SEO記事にも、はっきりと型があります。タイトルの型、見出し構成の型、リサーチの型。これらはAIで量産できますし、実際に量産する時代になりました。型を作る作業において、AIはとても優秀なツールです。
ただ、AIが要約や検索結果の中に情報をまとめてしまうこれからの時代に、コンテンツとして生き残るのはどちらでしょうか。一般論だけで書かれた記事は、AIにきれいに要約され、吸収されて、わざわざ読みにいく理由が薄れていきます。一方で、その人が実際にやってみた、見た、失敗した、という固有の経験が入った記事は、AIには代わりに書けません。
異世界漫画やサンドウィッチマンと、構造は変わらないのだと思います。型は型として機能させる。その上に、自分にしか書けない一滴を乗せる。差別化は、型の新しさではなく、乗せるものの固有性のほうから生まれるのではないでしょうか。
結局やっているのは「成功事例の使い回し」だ
私がやろうとしていることを、身もふたもなく言えば「うまくいっている事例の使い回し」です。
これは悪いことではないと思っています。ギャグもコンテンツも、毎回ゼロから発明する必要はありません。機能している型を分析して、そこに自分の体験を乗せる。AIは、その「型の分析」と「骨格づくり」において、これまでにないほど力を貸してくれます。
ただ、忘れてはいけないのは、AIの出力は入力で決まる、ということです。何を入れるかが、何が出てくるかを決める。だとすれば、14年間この仕事を続けてきて溜まってきた実体験そのものが、AIにとっての最良の入力値になるわけです。型は誰でも借りられますが、入力する体験は借りられません。
笑いを量産する仕組みづくりは、正直まだ途中です。でも、この遠回りを通じて、自分が普段やっているコンテンツづくりの本質を、別の角度から確かめられた気がしています。型は道具として使い倒す。その上に、自分の経験という固有のものを乗せていく。
Webメディアを、会社の中に育てる。











